三日間コナに行ってないので個人的記録として。
先日じいさんが亡くなった。享年99歳。
爺さん、まじで9とゆう数字が嫌いで
(うちのおかんなんぞは9月9日本当は生まれなのに9月15日とかにされてる)
あと27日がんばれば100だったのに、なんでか99で死んじゃった。
爆発的に機械が好きで、あたしの機械(ロボ)好きは間違いなく爺さんの隔世遺伝。
あたしがずっと福井村(うちの実家があるとこで、うちの先祖が切り開いた土地)の写真だと
思っていた写真は、実は爺さんが戦時中に撮った万里の長城のパノラマ写真であることが
昨日判明・・・・自分で現像してるので、これもすごいと思うが、
結構爺さんは発明王で、足が悪いばーちゃんを運ぶために畑いっぱいにレールを引いて
いやがるばーちゃんを乗せてプラレールよろしく動かしてみたり、
エレベーターを開発して、うまく昇ったはいいが、下りは作動せず、二階からおっこってみたり、
ペンキ塗りとかではしごからおちるのは、結構しょっちゅうで、
あたしの小学生時代のじいさんの思い出ことをいうと、
家から畑に水をやるのが大変・・・とぼやいてみたら、
家の壁に穴をあけてくれたり(冬寒くてしゃれにならず・・)
まずしくてちっちゃい、うちの借家に小屋をつくってくれたり
(のちにこの小屋のドアの構造上の問題で孫の私が6時間小屋に拘束される事件が起こる・・・・が)
まー思いついたらやる、せっかちな発明家だった。
日露戦争、第二次世界大戦を経験し、ノモンハン事件にもかかわり、軍医として、ミャンマーでひどいマラリアにかかってもどってきたらしい。
このマラリアが並ではなく、帰国後も相当たいへんだったらしい。
あたしがしってるじいちゃんは、声が大きくて、背もおっきくて、おっかなくって、福井村の小川の裏で
さくらんぼを消毒してて、やさしいばーちゃんをいつも怒鳴ってて、
でも、なぜかピアノをかってくれて(全然ものにはならなかったけど)
相撲が好きで、耳が遠くてたまに話すと至極まっとうなご意見を述べるひとで、
具合が悪くても点滴片手に日課の散歩をかかさない、変わりもので
(寝てろよ)
いっつも、うちのおかんとけんかしてて、(うちのおかんの方が怖い)
寝言うるさくて、結構泣き虫でおんおんないて、
最後にあったのは正月で、具合が悪くても散歩してたがんばりやの爺ちゃんが、
もう、ごはんを食べるのも面倒みたいで、あたしがスプーンを差し出すと、
ぱくぱくとおんなじ種類のもの食べてたのが最後で、
何度か病院の前を通るんだけど、いっつも、ひとりでおじいちゃんとこ行ってもうまく対応できる
自信がないから、おかんと今度来よう!とおもいながら、
5月3日に突然悲報を聞いたりした。最初意味わかんなかったけど。
もう年だしあんまし悲しくないかな、とかおもったけど、そうでもなく、
最後に、ボンクラだけどここまで来たのは、じいちゃんのおかげだな〜としみじみ思って、
ちっちゃい声でありがとうっていったけど、聞こえてたらいいなぁ。
じいちゃんもの骨は戦争を生き抜いてきただけあって、超極太でかっこよかった。
孫は骨粗しょう症ぎみですが・・・・
たまにおかんに言われてしぶしぶいってた、じいちゃんとばあちゃんの棲家も今は誰もいなくなってさみしいす。
そこには8歳で亡くなったあたしの妹の写真が飾ってあって、妹は多分若干生意気でかわいくないやつだったけど、
気にかけてくれたみたいで、いまは写真だけ残っちゃって、部屋にもうだれもいないんだよなぁ。
じいちゃんがそっちにいって、ばあちゃんはまたゆっくり煙草をすえなくなるかもしれないのが、孫としては心配ですね。
しかし、今回じいちゃんの意向で史上最大級の20年取りおき160CM灯篭が超じゃまなのに、家にやってきてしまった事件と、なにをやっても、死んだ時間から焼き場の番号まで、じいちゃんが9という数字がつきまとったのは受けたね。最後までおもしろいよ、じいちゃん・・・。
いろいろ大変だったとおもうけど、ゆっくり休んでくらさい。
そうそう!!
ちなみに今回じいちゃんを湯潅した、汗かきだったけどスカパラ谷中似の男子、じいちゃん、私はああゆうコイ顔が、とってもとってもタイプなんで
ひとつよろしく!って関係ないか。